第238回_独自の名言は存在するのか?
「至誠にして動かざる者は未だこれあらざるなり」
吉田松陰(幕末の教育者)
意味:至誠をもって対すれば動かすことができないものはない。
これは松陰の有名な言葉として知られるが、実は本人の考えたものではない。中国の孟子の言葉であり、松陰は孟子が好きであったことから、松下村塾でもよく孟子の講義をしていたのだ。
私は名言の王国というサイトで http://meigennooukoku.net/ 古今東西の名言、語録を集めているのだが、今日(2013年12月30日)までに2285人、13260の語録を収録している。
これだけの名言、語録を収録していて気付いたことがある。初めはなるべくその人の人生観、生き様が現れるような、その人独自の言葉を載せようと思っていたのだが、その人のオリジナルの言葉とされているものでも、たいてい、過去に何人かは同じようなことを言っているということである。
そうなると、その人独自の言葉か、他人の引用かという境目が分からなくなる。
例えば『経営の知恵 トップの戦略(PHP文庫)』という本に阪急グループの創業者、小林一三の言葉が紹介されている。
「世の中で、百歩先の見える人は変人扱いをされる。50歩先の見える人の多くは犠牲者になる。ただ、一歩先の見える人のみが成功者となるのだ。しかも、ただその一歩の違いに過ぎぬが、その手前の一歩さえ見えぬものは落伍者である」小林一三
しかし、これは小林の言葉ではない。何故なら、小林一三の自叙伝となる本に、(上の言葉は)岩下清周(北浜銀行頭取)翁が常々言っていたことで、達人の高話として絶対の敬意を払っているというふうに書かれているからだ。
このように他人の言葉を引用して言っていたものが、後世になっていつの間にかその人の言葉になって定着しているということが少なくない。
GHQ司令長官のダグラス・マッカサーが残した言葉に「老兵は死なず、ただ消え去るのみ」という有名なフレーズがあるが、これも、第一次世界大戦時に、兵士たちの間で流行っていた歌の一説から引用して言ったものである。
名言や語録を調べれば調べるほど、完全な本人のオリジナルというのは存在しないのではないかと思えてくる。
明治大学教授の齋藤孝先生は「書くことは、読むことよりも高度な作業である。自分が聞いたり読んだりしたことのない言葉は、書くことができない」という。
ということは、本人は引用ではなく、自分のオリナジナルの言葉と思っていても、覚えていないだけで、過去に、その言葉を読んだか聞いたかしてインプットされていたからアウトプットが出来るという理論も成り立つといえよう。
詩人、寺山修司の『ポケットに名言を』という本の冒頭に
「ほんとうは、名台詞(せりふ)などというものは生み出すものではなくて、探し出すものなのである」
と書いてあるが、この言葉はとても腑に落ちる。
名言、語録は作ものではなく、探すもの。探し出して気に入ったものを自分の座右の銘とすればそれで良いのではなかろうか。
吉田松陰(幕末の教育者)
意味:至誠をもって対すれば動かすことができないものはない。
これは松陰の有名な言葉として知られるが、実は本人の考えたものではない。中国の孟子の言葉であり、松陰は孟子が好きであったことから、松下村塾でもよく孟子の講義をしていたのだ。
私は名言の王国というサイトで http://meigennooukoku.net/ 古今東西の名言、語録を集めているのだが、今日(2013年12月30日)までに2285人、13260の語録を収録している。
これだけの名言、語録を収録していて気付いたことがある。初めはなるべくその人の人生観、生き様が現れるような、その人独自の言葉を載せようと思っていたのだが、その人のオリジナルの言葉とされているものでも、たいてい、過去に何人かは同じようなことを言っているということである。
そうなると、その人独自の言葉か、他人の引用かという境目が分からなくなる。
例えば『経営の知恵 トップの戦略(PHP文庫)』という本に阪急グループの創業者、小林一三の言葉が紹介されている。
「世の中で、百歩先の見える人は変人扱いをされる。50歩先の見える人の多くは犠牲者になる。ただ、一歩先の見える人のみが成功者となるのだ。しかも、ただその一歩の違いに過ぎぬが、その手前の一歩さえ見えぬものは落伍者である」小林一三
しかし、これは小林の言葉ではない。何故なら、小林一三の自叙伝となる本に、(上の言葉は)岩下清周(北浜銀行頭取)翁が常々言っていたことで、達人の高話として絶対の敬意を払っているというふうに書かれているからだ。
このように他人の言葉を引用して言っていたものが、後世になっていつの間にかその人の言葉になって定着しているということが少なくない。
GHQ司令長官のダグラス・マッカサーが残した言葉に「老兵は死なず、ただ消え去るのみ」という有名なフレーズがあるが、これも、第一次世界大戦時に、兵士たちの間で流行っていた歌の一説から引用して言ったものである。
名言や語録を調べれば調べるほど、完全な本人のオリジナルというのは存在しないのではないかと思えてくる。
明治大学教授の齋藤孝先生は「書くことは、読むことよりも高度な作業である。自分が聞いたり読んだりしたことのない言葉は、書くことができない」という。
ということは、本人は引用ではなく、自分のオリナジナルの言葉と思っていても、覚えていないだけで、過去に、その言葉を読んだか聞いたかしてインプットされていたからアウトプットが出来るという理論も成り立つといえよう。
詩人、寺山修司の『ポケットに名言を』という本の冒頭に
「ほんとうは、名台詞(せりふ)などというものは生み出すものではなくて、探し出すものなのである」
と書いてあるが、この言葉はとても腑に落ちる。
名言、語録は作ものではなく、探すもの。探し出して気に入ったものを自分の座右の銘とすればそれで良いのではなかろうか。